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No.6304 - 今日のひとことログ

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■LOG No.6304

にししふぁくとりーHOMEに掲載している「今日のひとこと」の過去ログ(掲載履歴)です。 RSS

No.6304 〔873文字〕

初対面の人に向かって「また行こな」的な表現を使った場合の「また」の意味が関西圏以外では通じないという話が以前にちょっとTwitterで話題になっていた気がする。「またいこな」でググるとそれらの話が出てくる。私はそういう場面での「また」には「また今度」の「今度」が省略されていると解釈していたのだが、この話題の解説ページをいくつか読むと概ね「関西では『また』という言葉自体に『今度』という意味もある」と解説されていた。まあ、それはどっちでも良いのだが、ふと疑問に思ったのは『今度』という言葉の意味は関西と関東で本当に共通しているだろうか? という点。関西人であるところの私は「今度(こんど)」と言われたら「ずいぶん先」という意味に取るのだが。どれくらい先かは曖昧だが、少なくとも明日や明後日などではない。この感覚は東西で共通なのだろうか? 関東圏の鉄道で「次」と「今度」が並んでいるとき「今度」の方が先に発車して関西人が衝撃を受けるというネタが昔からいろいろ語られているけども(※リンク先のページに書かれているが、関東圏の鉄道でも実は「今度・次」という表現はほとんど使われていないらしい)。もしかして関東では「今度」というと「そんなに遠くない未来」のことを指していたりしないのだろうか? 字面からして、本来の意味はそもそも未来ではなく「今」のことを示していたのだろうと思うけども。文章で書くときは「こんど」と平仮名で書きたい。今のことではないから。まあでも「こんど」という表現を文字で書く機会が滅多にないが。最初の話題に戻るが、よく考えると私が「また行こな」的な意味での「また」を口に出して使うことはまずない気がする。言われれば意味は分かるが。なんでかな……と思って考えてみたところ、そもそも他人と曖昧な未来に何かすることを約束することが滅多にないからではないか。(笑) 具体的な予定を立てる約束はするが、「いつか○○しましょうね」的な半ば社交辞令のような曖昧なことを言う相手が居ない。┌(:3」└)┐ まあでもそれは良いことだと思うけども。(笑)
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